昭和47年 九州の大分県津久見市で私が生まれた。
もちろん、その時の事など私は覚えているはずもなく 全て母親に聞かされた事だが
近くに産婦人科もなかったために 母は自力で出産。 3つずつ歳の離れた姉がいたが
姉たちに母親の手助けなど出来るはずもなく 子供を冷やしてはいけないと
母はコタツに入り コタツの両足を掴み コタツの中で私を出産。
出産後 お産婆さんが来てくれて 私を綺麗に洗い母の元へ。
突然の出産ではあったが 姉も飛び跳ねて喜んでいたそうです
『妹が生まれたぁ~、妹が生まれたぁ~。』 そう言いながら母と私の周りをぐるぐるぐるぐる。
当時 私 姉二人 母 父 は新聞配達の会社に住み込みだった
だが新聞配達だけでは 生活は厳しいと 父親は夜スナックで仕事
その為 私は父親の顔は覚えていない
今でも耳にする事があるが 赤ちゃんの時の記憶がある子がいると聞く
実際記憶に残っている子は少ないらしいが 私もそんな記憶がある子の一人だ
不鮮明な部分もあるが 喋りだすようになり ある程度の年齢の時
過去の話を母親にした事で 『何で覚えてる?』 そんな事を言われたことも・・・。
だから今でも言えるのは 私は父親の顔は覚えてはいないけど
父親に何をされたのかと言う事だけは忘れてはいないという事
オムツなのかおっぱいなのか? 私が泣けば父親はうるさい!と怒鳴りつけ
私にタバコの火を押し付けたり 押入れに閉じ込められたりした事だ。
大きなガラスの灰皿を母親に投げつけた事も覚えている。
まだ1歳にもなっていない。
『子供は泣くのが仕事でしょ。』 そんな母の言葉に耳もかさず
『俺は夜中仕事してるんだから昼間ぐらい寝かせろ!!』
ソファーで寝ていた私を抱き上げて 床に叩きつけようとした父親。
母親はすぐさま私を奪い返して それからというもの 私はずっと母におぶられたまま
生活をしていた。 部屋にポツンといるよりも 母の背中が私には心地よかった。